カナザキ歯科 院長ブログ「歯科道一直線」

日記

2018/04/10

カナザキフィロソフィー「今このときに生きる」

これはある種、禅的なものの考え方なのかもしれません。どういうことかと申しますと、

禅は只管打坐して悟りを求めるだけではなく、作務という労働や、托鉢など体を動かしている中からも悟ろうとします。これを動中の静というのだと思います。いくら人里離れた山の中で悟りを得たとしても、生活の中に戻ったとたんにいろんな雑念、妄想、葛藤に翻弄され、悟りなどどこかに飛んで行き、心は乱れ、悩みの世界に逆戻りということもあり得るでしょう。それよりは日常生活の中で自分の内面性を磨いてゆく。これこそが揺れ動くことのない本当の悟りである。そんな話を何かの本で読んだことがあります。

例えばの話ですが、あなたが誰かに良かれと思って親切にしたとします。ところがその人はあなたを誤解して疑り、あろうことかあなたを恨み、誰かにあなたの悪口を口汚く言います。うわさが広がりあなたは人々からさげすまれ、白い目で見られ、攻撃を受けます。当然心中穏やかではないでしょう。仕事も手につかず、いつもその悔しさで頭がいっぱいになり、夜も寝られません。

似たような経験は誰にもあるでしょう。

しかし、そんな時にとても良い方法があります。それが「今この時に生きる」という考え方です。臨済宗の開祖である臨済禅師の言葉を借りれば「只今に生きる」です。目前の物事に没我没頭する。あるいは全力を傾けるのです。一つのことが終わったらまた次のことに集中するのです。仕事が終わったら遊びに熱中する。また家族とのひと時に浸りきる。我を忘れるほど没頭すれば、悩んでいる暇などありません。こういう日々を送っていると、やがては悩みがあまり気にならなくなります。いつも笑顔でいられるようになります。仕事や、趣味、自分がやるべきことがどんどん進み上達し、いつの間にかその道で衆目を集めるような人になっているかもしれません。剣豪宮本武蔵も著書「五輪の書」の中でこう述べています。「われ事において後悔せず」

道を究めた人は、過去のことをいつまでもくよくよ悩んだり、後悔したりしないということでしょう。しかし武蔵といえども究める前はおそらく悩んでいたのではないでしょうか。人は揺るぎのない自分になるために道をもとめ、歩んでいるのかもしれません。